フォームからご質問いただいた「声」にお答えしました。
今回は特に長文になってしまいました。
お手隙の際にでも是非ご一読ください。
■高齢者支援サービスの拡充はどう考えているか■
説明させていただける機会をありがとうございます。
どこからどこまでを高齢者に向けたサービスと考えるかは線引きが難しいのかなと思いますが、これまでアップデートされ続けてきた介護保険法や高齢者向けサービスをベースに、私の経験をふまえた考えを説明させてください。
まず介護保険法ですが、今から23年前(平成12年4月)に「これから介護を必要とする高齢者の増加が予測される中で家族の負担を軽減し、孤立させず、社会全体で支えるべきだ」という考えで創設されました。
私は当時まだ27歳でしたし「介護」といわれてもどこか他人事で、具体的なイメージは全くできませんでした。
皆さまにも23年前、自分が何をしていたか、世の中がどうだったか思い出していただければ幸いです。
前項でも紹介させていただきましたが、私は保育士資格を有しており、保育所の運営に携わってきた中で「園児たちを老人ホームへ遊びに連れて行く」というイベントをよくやっておりました。
このイベントは老人ホームに居住されている方々がマンツーマンで園児に折り紙を教えてくれたり、一緒にお昼を食べたり世話をしてくれるので、正直に言うと保育士や私たちにとっては「身体的にラクができる日」です。
そんな中でホームの居住者の方々から言われた、
「みんな、この子たちが来る日を指折り数えて楽しみにしている」
「私たち朝ドラと日曜ののど自慢を見るくらいしか用事がない」
「外に出るのは病院くらい」
といった言葉がとても衝撃的でした。
「自分達にとっては日常のひとつでしかない些細な行事を必要にしてくれている人がいる」ということは私にとって驚きで、それからすぐに高齢者の生活に「張り合い」や「楽しみ」を作ることを目的とした「高齢者が外出するための新しい場所」を作る挑戦を始めました。
今ではあたりまえにみかける通所介護(デイサービス)施設です。
ただ、当時「デイサービス」「デイケアサービス」はそもそも医療法人や社会福祉法人が運営することを前提とされており、一般企業が運営することは想定もされてません。
もちろん前例どころか施設の設立申請のための雛形やテンプレートさえありませんでした。
若いというのは恐ろしいもので、
「病気になったら病院に行けば解決できる。私は病気の治療はできないが、高齢者の生活の中に張り合いや生きがいをつくることはできる。それができれば健康寿命を伸ばすことに寄与できるし、それが本来、病院や治療に依存せず、社会全体で介護を支えるということではないか」
という一本槍でした。
医療施設と同等レベルで全ての基準に配慮した施設概要や細かな図面、建物内の全てのバリアフリー化や看護師を含めた必要人員の雇い入れ、不測の事態が起きた場合の病院や関係各所との連携など、もろもろ考えうることは全てやった上で、何度「不許可」の通知をいただいたかわかりません。
それから数ヶ月、私の始めた小さな有限会社が「民間企業初の通所による介護施設(=デイサービス)」として認定されて以降、それをサンプルケースとして多くの企業が介護事業に参入しました。
その後、サービス事業者数や介護サービスのバリエーションの増加は現在皆さまがご存知の通りです。
令和5年。
「これから介護を必要とする高齢者の増加が予測される中で家族の負担を軽減し、孤立させず、社会全体で支えるべきだ」
冒頭で述べた、介護保険制度が始まった時と言われているセリフは全く同じです。
むしろ加速する単身高齢者世帯や要介護者の増加は過疎地や山間部のみの問題ではなくなり、状況は以前より深刻です。
しかし、現在ではAIやIOTの大幅な性能向上といった、23年前には想像もできなかったテクノロジーや技術によって様々なサービスを構築することができるようになりました。
現在問題が顕著化している免許返納による移動困難や買物弱者問題だけでなく、ICTやIOTを活用した移動・買物・診療・その他の生活サポートを全てを網羅する、生活に密着した具体的なシステム(=サービス)の構築が必要だと考えます。
これらはけして特別なものではなく「衣食住」について地域や年齢に関係なく不自由なく「普通に暮らすためのツールもしくはサポート」です。
私はこの問題解決に向け、規模は小さいながら数年前から準備をしてきました。
「こういうのをやれるとしたら大企業であって、君たちではないと思うけどな」
というセリフは23年前にも飽きるほど言われました。
私が考えるAIやIOTを用いた生活サポートシステムは高齢者の生活向上にだけ特化したものではありませんが、多くの皆さまの生活の不便や不安を解決し、利便性を向上させます。
筑紫野市発祥のサービスがこれからの日本の手本になるよう、尽力したいと考えております。
